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記憶とポイエーシス [最近の論文]

記憶とポイエーシス


Ⅰ. 人生という虚構
Ⅱ. 記憶とポイエーシス
Ⅲ. 記憶と思考

 

 記憶が過去についての貯蔵された情報の断片を取り出して過去を忠実に再現するという行為からかけ離れたものであることは、様々なレベルで論証や実証の対象となってきた。要するに、記憶は不確かなのである。このことは肯定的にも否定的にも言える。おそらく否定的に言う方が容易であろう。特に哲学的な観点をとらずとも、記憶が現実に起こったことを断片化し選別し、時には歪曲や隠蔽、時には創作するものですらあることは、誰もがつねに経験していることであるのだから。
 今日、たとえばガザニガのような脳科学に傾斜した科学者が述べていることは、要するに、そうした日常的に確認できる記憶のあやふやさ加減を脳科学の実証的なレベルで再確認しているにすぎないように見える。ただし、その主張は時に、極度に観念的な方向に走る傾向がある。結局、単純化して言えば、記憶(を含め一切合財)が、現実の裏打ちに乏しい脳の勝手な振る舞いの所産だという主張に帰着するからだ。結局、記憶は一種のフィクションだと言いたいのだ。そして、記憶の膨大な蓄積にもとづく「自我」の存在も結局はフィクションなのだと言いたいのだろう。    
こうした、脳科学という新たな意匠のもとで立ち現れた現代のヒューム主義とでもいうべき立場に対して、それが「虚構(fiction)」という語を連発するとき、それはいかなる「現実」を念頭に置いたうえで使っているのか、いかなる「現実-虚構」という対立関係を根底に置いているのかとマーク・フリーマンが問いかけたのは的確であった。おそらく通常理解されている「記憶」や「自我」を「現実」からかけ離れた「虚構」の方に追いやるとき、ガザニガは「現実」から意味ある内容のほとんどすべてをはぎっているのであり、それによって「現実-虚構」という対立枠がほぼ無意味なものとなってしまっているのだと。
「虚構」も「現実」もともに等しく無意味になってしまうような理論に対して、両者にそれに相応しい意味を与え返すこと、これが最近のフリーマンがナラティヴ論に見出した課題だった。 

「虚構の概念を考えなおすことによって、現実を取り戻す可能性が開けるばかりでなく――そのことで私が言いたいのは、現実というものにより十全でより包括的な広がりをもつ意味を回復させることなのだが――、人間の領域において真理が何を意味するかについてのより適切な解釈を設定する可能性がひらけてくるのである」(1)。

この課題は、記憶やナラティヴを考え直すということのみならず、哲学的に言えば、ある種の「真理論」のヴァリエーションを試みることに結びつくものだ。虚構から真理へと向かう方向性は、詩と真理の関連を考え続けたハイデガーの晩年を思わせるものがあるし、実際、フリーマンの試みは、いずれ示されるように、最終的にはハイデガー的な真理概念を記憶やナラティヴの領域に適用しようとしたことにあると要約できるかもしれない。記憶がいわゆる「現実」から離れ虚構という形式を帯びるのは、実は、「現実」を別の形式で捉えなおし所有しなおすためなのではないだろうか。いわゆる「虚構」とは現実から遊離しそれとは独立にある存在のあり方なのではなく、再び見出された限りでの現実なのではないだろうか、というわけである。しかし、こうした問題設定はひどく射程が広すぎるし、また曖昧でもある。本稿ではもう少し範囲を限定して、ガザニガ的な(極端ではあるが、常識的でもある)見解を踏まえたうえで記憶やナラティヴの「虚構性」の次元をフリーマンがいかに掘り下げたのかを見ることにする。フリーマンは、時に個人的な次元にあえて話を逸脱させながら、実証的レベルから哲学へと越境する地点を行ったり来たりする。そんな彼のスタイルも尊重しながら、過去を振り返るという誰もがする平凡な行為のうちにどれほどの奥行きがあるのかを考えてみたいのである。


Ⅰ.人生という虚構


「私たちは、私たちの人生の虚構(the fiction of our lives)については実際知っているし、知りたいと思うべきなのだ」と、マイケル・J・ガザニガ(Michael S. Gazzaniga)は『精神の過去(The Mind's Past)』の冒頭で述べている(2)。
ガザニガが考えているのは、私たちが人生の中で生じたり遭遇する様々なお話や出鱈目や嘘や偽りなどを一括した「虚構」なのだろうか。しかし、‘fiction’という語が単数定冠詞つきで用いられているということは、それが複数性を含意する意味で用いられているというよりも、私たちの「人生」が、その複数性や多様性にもかかわらず一様に共有している「虚構性」という意味で用いられているのだろう。そもそも「人生」という語は、私たちが生まれてから死ぬまでの期間に意味のある統一性が支配しているという錯覚を与えるものだが、ガザニガは、そのような意味での「人生」という「虚構」のことを念頭に置いているのかもしれない。もっとも、こうした超絶的な一般化が実証的な研究にもとづいて成立するとはとても思えないのだが、とりあえずそれを受け入れるふりをしよう。ガザニガの主張にはそれなりの実証的裏づけがもちろんあるのだが、そこに立ち入る前に抽象的な議論に文学的な彩りを添えるために、彼が「虚構」という語を使うときに念頭に置いている文学者の言葉を先立てておこう。ジョン・アップダイクの“Self-Consciousness”という作品にある言葉である。これはガザニガ自身も前掲書で引用しているので、間違いなく自分の洞察に合致すると彼には思えたのだろう。少し長いが紹介してみよう。
「「意識は病気だ」とウナムーノは言っている。宗教をもっていればその病状も緩和されるだろう。もちろん、宗教といっても広い意味で考えられた宗教のことで、世界中の野蛮で残忍でもある正統性のある教団という形をとった宗教だけではなく、私的なシステムという形をとった宗教のことである。それがエルビス・プレスリーに対する熱狂であれ核兵器に対する憎悪であれ、政治や大衆文化を盲目的に信奉することであっても、私たち個々人の嫌になるほどちっぽけな諸事実を超越的な関心事の中に浸してくれる私的なシステムなら何であれ宗教と言えるだろう。宗教的な想像力はなんとひどく豊かなのだろう、(人生の)意義に対する渇望(the appetite for significance)はなんと熱烈なのだろう。それは、どんな柴や岩にも神を措定する。私たちが食料品店のレジのところで買うタブロイド週刊誌には、占星術や、UFOや、死からの復活や、スプーン曲げや、幽霊や、ブードゥー教などの話題が満載だ。恋に落ちること――恋人の神話化や、恋人に関わるどんなものもでっち上げの宗教だし、われわれ人間は原因のない広大な地球上の有為変転の中で偶然生じたものだというコペルニクス以降の、ダーウィン以降のありとあらゆる証拠に反して、われわれの人生は、パターンとモラルと不可避な運命を備えた一つの物語だ――エマーソンが言ったように、「あらゆる事柄には一本の糸が通っている、あらゆる人々は、ビーズのように、その糸によって結びつけられている。人々も、出来事も、人生も、それらが私たちのもとにやって来るのは、まさしくその糸のおかげなのだ」と私たちが依然として感じるのも宗教的なのだ。言い換えれば、私たちの主観性が、秘密の通路を通して、外部の現実を支配していて、宇宙は人格的構造をもっていると依然として私たちが感じるのも宗教的なのだ」(3)。
ここで述べられていることは、その主観的なトーンをあえて無視すれば、きわめて真っ当なものである。かつて宗教史家のマルチン・ニルソンは宗教を「出来事が無意味であることに対する人間の抗議(Man’s Protest against the Meaninglessness of Events)」と定義したが(4)、宗教学の碩学の晩年の思想を思いきり通俗化した形でアップダイクは述べているのだ。ただし少しアップダイクは陳腐な方向に妥協した書き方をしているのかもしれない。私たちがコペルニクスやダーウィン以降の時代に生きているなどということは、たぶん世の中の99%以上の人間にとってはどうでもいいことだ。太陽は東から「上り」西に「沈む」。人間は万物の尺度である。聖書によれば、猿以下の生き物は人間が孤独を紛らわすために神が造り給うたものだ。あるいは、キルケゴールとともに、神が退屈しのぎに作ったものかもしれないし、あるいは、そうしたお話全体が人間の無聊の慰めなのかもしれない。ただ肝心なことは、アップダイクの上の省察も、聖書やキルケゴールの想定と並ぶ「お話」の範疇に属していることは間違いないことだ。私は、たぶん少し冷笑的にアップダイクが引用しているエマーソンの言葉は、それほどあっさり冷笑して葬り去れるほど底の浅いものだとは思えないのである。それに文学者を自称する人間がコペルニクスやダーウィンを錦の御旗のように引き合いに出すことにも違和感を覚えるのだ。
それはともかく、アップダイクが「宗教」と言っていることをガザニガは「虚構」や「妄想」と言い換えているのだが、フロイト以降の伝統に従って、宗教とは集団的に共有された妄想であり、妄想とは個人的なレベルでの宗教であるということが正しいのであれば、そう言い換えても構わないだろうし、そう言い換えるべきなのである。さて、こうした「宗教」、「虚構」、「妄想」を生み出すものは何か。ガザニガの説を聞こう。
エマーソンが言うところのあの「糸」を紡いでいるのは何物か。この問いに対してガザニガは「インタープリター」というテクニカル・タームをもちだす。
「脳、とくに左脳は、脳がすでに加工したデータを解釈するために作られている。左脳には特別なデバイスがあり、それを私はインタープリター(interpreter)と呼ぶのだが、それは莫大な数の自動的に生ずる脳のプロセスが完了するやさらにもう一つの活動を実行するのだ。脳の情報連鎖の最後をなすデバイスとしてのインタープリターは、脳内の出来事を再構成して、そうしながら、知覚や記憶や判断から明白な誤りを作り上げる。我々がいかに作られているかという問いに対する手がかりは、知覚や記憶や判断といった諸機能を成し遂げる驚くべきほど堅固な能力にあるのみならず、再構成の際にしばしば作り上げられる誤りにもあるのである」(5)。

脳内の様々な部位で処理された部分的な情報を最終的にまとめ上げるという任務を負うのが、左脳に位置している「インタープリター」である。この言葉は普通は「通訳」という意味であるわけだが、脳の部分的情報処理の結果を人間の精神に伝える媒介者という意味で「通訳」という語をガザニガは用いているのだろう。ただしこの「通訳」はときに不実なことをする。正確な翻訳はこの通訳にとって至上命題ではないし最優先の課題でもない。必要とあらば、正確性はあっさり犠牲にされるのである。この点を説明するときにガザニガが引き合いに出すのが、彼の専門である分離脳の事例である。
かつては、てんかんの症状を抑えるために右脳と左脳をつなぐ脳漿を切断するという治療が良く行われたし、いまでも実施されているようだ。ガザニガは、そうした患者に対して、左右それぞれの脳半球の働きを調べるために、情報を分離脳患者の片方の脳半球だけに提示するという実験をおこなった。そうすることによって、両半球が協働しあっているときには得られないデータが得られ、片方の脳半球の働きがよく判ったのである。上に述べられた左脳の特別なデバイスである「インタープリター」の存在と働きも、そうした実験の結果判明したのだが、とりわけ次のような実験が明瞭な結果をもたらしてくれた。
まず、雪に覆われた家の写真を分離脳患者の右脳に、鶏の足爪の写真を左脳に提示する。その時、それぞれの脳半球は反対の半球が何を見ているのかが判らないのが、この実験の面白い点である。次に、いま見た写真に最もふさわしい絵を、左右それぞれの手で一つずつ選びなさいという指示を患者に出す。すると、患者の右手(おもに左脳によってコントロールされている)は、左脳が見た足爪にふさわしい雄鶏の絵を、患者の左手(おもに右脳によってコントロールされている)は、右脳が見た雪景色にふさわしい雪かきシャベルを選んだ。このとき患者は、それぞれの手が違う絵を選んだという現実に直面するわけだ。が、「なぜそんな絵を選んだのか」と問われて、言語の機能を担っている左脳のインタープリターは、雪景色を見た覚えがない一方で雄鶏と雪かきシャベルの絵を手にしている事実を結びつける即興の説明を作り上げたのだ。「鶏の足爪は鶏に合うし、シャベルは鶏小屋の掃除をするために必要だからさ」。
なぜシャベルを手にしているのかわからないと正直に言うかわりに、インタープリターは、関連性のない諸事実に当意即妙の関連性をつけようとする。これは、事実をその事実のままに認めて表現するという以上のことをインタープリターがする傾向をもつということを示している。これはいかに目の前の事実を解釈するかという問題だが、これが過去の事柄の再現という問題となると、左脳は正確性を犠牲にしても諸事実の統一性や関連性を優先する傾向がさらに顕著になる。こうした点を捉えて、ガザニガは次のように言う。

「真実を言うことが常にベストというわけではないのだろうか? 実は、私たちのほとんどは卑劣な嘘つきなのだ。…インタープリターは、私たちの個人的な物語りがバラバラにならないように努めているのだ。そうするために、私たちは自分自身に対して嘘をつくようにならなければならないのだ。…自分自身の物語りが真実であることを誰かほかの人に判ってもらうために、私たちは自分自身を説得しなければならない。私たちは、自分の経験した実際の諸事実を現在進行形のナラティヴに拡大するようなものを必要としているが、それは、私たちが長年にわたって自分の心の中に組み込んできたセルフ・イメージなのである」(6)。

このインタープリターの働きを比喩的にガザニガは“spin doctor”とも言い表している。「スピン・ドクター」とは「情報を操作して人心を操る専門家」という意味らしい。それと同時に「スピン」とは「糸を紡ぐ」という意味でも使われるので、あのエマーソンの比喩にも適合しているのでこの表現をガザニガは選んだのかもしれない。いずれにせよこのスピン・ドクターが様々な糸を紡いで関連性のない諸事実に関連性をもたせ、そうして作り上げた小さなナラティヴ(「自己」というナラティヴ、「他者」というナラティヴ、感情の流れを作るナラティヴ、行動の脈絡を作るナラティヴ等々)のそれぞれをたぐり寄せて一つの大きなナラティヴ、人生というナラティヴを創作するという訳である。

「インタープリターは、たえず、わたしたちの行動、感情、思考、夢などについて途切れることのないナラティヴを設定している。それは、私たちのストーリーを統一化する接着剤のようなもので、私たちが全体的で理性的な主体であるという感覚を創り出している。それは、個体の本能が詰まったバックに、自分は実際とは違う存在なのだという幻想を持ち込むのである」(7)。

 このような一連の発言から注意すべき点を二点だけ取り上げてみたい。第一点は、こうした見解を哲学的に見た場合に指摘できる陥穽について。第二点は、特に記憶や回想に限定したときにこうした見解が持ちうる歪曲的な効果について、である。

1) ここには、デカルトの「悪い霊の仮説」に近似したラディカリズムがあるように見える。「そこで私は、真理の源泉である最善の神がではなく、ある悪い霊が、しかも、このうえなく有能で狡猾な霊が、あらゆる策をこらして、私を誤らせようとしているのだ、と想定してみよう」と『省察』は語る。しかし、後になって『省察』は最善の神が存在すること、したがって悪い霊が存在しないことの「証明」に乗り出した。ただし、この証明にはのりこえ難い循環が潜んでいたので、証明の有効性は一般的に認められていない。したがって、悪い霊が私を誤らせようとしているという可能性は排除されないし、人間は最終的な真理に到達できないという可能性はつねに開かれたままである。だがその場合であっても、ヘンリー・モーアに宛てたデカルトの書簡が語るように「なるほど、われわれの精神は、物や真理の尺度ではない。しかし、われわれが肯定したり否定したりする物の尺度であることは確かであろう」という洞察に基づいて、悪い霊の仮説にうまく対処することができる。悪い霊の視点から見れば、人間の営みは「誤り」という烙印を押されるかもしれないが、「われわれ」の肯定や否定といった活動の内部に視点を限定するならば、そこに「われわれ」にとっての真理や虚偽を適用することは可能である。
それとほぼ同じことがガザニガの主張に対して当てはまるかもしれない。つまり、脳の営みを外的な眼差しから見るならば、それに対して「虚偽」や「妄想」という烙印を押されなければならないような作為に満ちているかもしれない。しかし、それを共有する「われわれ」の内部においては、そのような意味での「虚偽」や「妄想」は存在しない。もちろん、その内部には、共有された基準に適合しないという意味での虚偽は存在するし、まったく誰にも共有されることのない信念という意味での「妄想」も存在する。もちろんそれと相関的な「真理」も存在する。しかし、それらはガザニガのいう意味での――つまり、超越的な視点から見た場合に視野に入ってくる意味での――「虚偽」や「妄想」や「真理」ではないのである。
言い換えれば、ガザニガは二種類の真偽の概念を、意図的か否かは問わないとしても、絶えず混同しているのである。ガザニガは、一方でアップダイクが主張したような世界を覆い尽くす「宗教性」=「虚構性」=「虚偽性」というラディカリズムに基づいて、真偽の概念を使用している。インタープリターの息のかかるものはすべて虚偽だというアプリオリな断定はおよそ経験的な内容をもつものではない。他方で、分離脳患者の即興的な解釈は、日常的に適用できる意味での「虚偽」を含んでいる。この虚偽はあり得ないことを実際起こったかのように扱うという点で誤っているのだ。そこには経験的に確証できる意味での真偽の概念しか存在しない。そして、それは人間のすべての知的活動に一般化できるような広がりはもたないのである。こうした二つのレベルが、ガザニガの論証には区別されないまま登場しているように思われる。
以上のことを踏まえて考え直すならば、ガザニガの見解のラディカリズムは単なる見かけだけなのかもしれない。それは、もっと身近なレベルで確認できる常識的な現象、たとえば「記憶」の領域でシャクターが述べたように「人間の記憶のアウトプットはインプットとはしばしば――時にはかなり著しく――異なっている」(8)という日常的に散見できる現象と同じ脈絡を形成するものとして受け取られるべきものかもしれない。そしてそれは、そうした経験的なレベルにおける主張の(おそらくは不当な)一般化なのかもしれないのである。

2) ガザニガやシャクターの見解をもっぱら経験的な次元で捉えようとしても、それでもまだそれに対して疑義を呈する点が残る。つまり、かりに判りやすく「記憶」に限定すれとして、彼らにおいて記憶は正確性という基準からのみ測られているのだが、それは、そうしなければならない性質のものなのだろうか、つまり記憶とは過去の再現という機能で尽くされるもので、その再現の正確性の度合いだけが問題とされるべきなのかという根本的な疑問は残る。この点でガザニガが選んだ「インタープリター」という術語は、始めから答えを先取りしたようなところがあった。その‘interpretation’の作業――「翻訳」とも「解釈」とも訳すことができるが――は、脳の各部位から送信される部分的なインプットから、人間が観念的に共有できるアウトプットへと変換する作業である。この変換作業は、「解釈」であり「再構成」であり「意味づけ」であり、そのいずれをとっても単なる忠実な再現など問題にならないような作業である。そこから、ガザニガの――インタープリターに関わることすべてが虚偽だという――あの(不当な)一般化が生じてくるわけだが、こうした一般化の背後には忠実な再現こそ真理に他ならないという非常に素朴すぎる考え方が前提されていることは言うまでもない。しかし人間の多様な営みを考慮に入れるならば、こうした単一で素朴な真理観だけを基準にして、それに合致しない現象を「虚偽」と断定するのは、どう控えめに見ても偏見としか言いようがないだろう。フリーマンのガザニガ批判は主にこの観点からなされたのである。そしてフリーマンは「記憶」に関して彼らとは根本的に違った見解を打ち出す必要があった。以下でそれを見ていくことにしよう。


 Ⅱ.記憶とポイエーシス
 
 
 フリーマンが「記憶」の問題を捉え直すにあたって導きの糸とした先行する見解が二つあった。一つはガブリエル・マルセルの「記憶」=「再構成」とする見解であり、もう一つはイアン・ハッキングの「過去の不確定性」に関する見解である。そのそれぞれについて見た後で、フリーマン自身の「記憶」に対するアプローチの特徴を見ていくことにする。

1. フリーマンが何度も引用していることから判断して、いわば彼の「枕頭の言葉」だったに違いないマルセルの発言を引用してみたい。
 記憶に過ぎ去った時を再現する機能だけしか認めないという通常の見解を反駁し、記憶は一種の再構成であることをマルセルが説得する文脈である。マルセルによれば、記憶の際に私たちに与えられるのは過去の「四方に放射する断片」にすぎず、その周りで精神は「再構築の仕事にとりかからねばならない。…この再構築は、実は新しいひとつの構成」なのである。このことを具体的に示すためにマルセルは、次のような例を挙げるのだ。

「そのことを理解するためには、われわれが、自分のおこなった簡単な旅行について、友人に物語るときのことを反省してみれば十分である。この旅行は、最初から終わりまで経験した人物によって語られるわけであるが、旅行中の経験は、その人のその後の経験――旅行中の最初の印象によって形成された観念に対して、反作用を起こしかねない経験――によって色づけられる。しかし実は、最初の経験そのものは、これから起こることへの不安な期待によって染められていたのである」(9)
 
 ここには、二つの視線が交錯している。「これから起こることへの不安な期待」をもって前方を眺めるまなざしと、それを終わりの方から眺めるまなざしである。マルセルにとっては後者の視線こそ、私たちが回想するときの視線なのである。なぜなら、いま引用している箇所全体が、「私の生は、私の反省に対して、物語りとして語られうる本質をもったものとして提示される」(10)というマルセルの主張を支える一つの論拠となっているからである。記憶や回想は再現のみならず、再構築であり新たな構成であり、物語ることの端緒なのである。そしてそういった行為が「私の生」の本質を形成するというのだ。
 しかしガザニガならば、それこそ「インタープリター」による「虚偽」、「個人的な物語りがバラバラにならないように」する「スピン・ドクトリング」の作為の所産しか見ないことだろう。それは決定的に過ぎ去った過去の歪曲に満ちた再現であって、マルセルが「色づけ」という言葉を使ったときにも同種の考え方が脳裏に浮かばなかった訳ではないかもしれない。だが、おそらく、そういうことではないのだ。「まなざし」の方向が逆転しているがゆえに再現の忠実性は問題ではないし、したがって当然「色づけ」と呼ばれうるような現象は生ずるにせよ、それが「色づけ」とは言えても「歪曲」でも「虚偽」でもないような、過去との関わり方が存在するのだ。それに、実は、私たちの過去は私たちが考えているほど確定したものとは言えないかもしれないのだ。このことを見るために、イアン・ハッキングの見解に触れておかなければならない。

2. イアン・ハッキングは『記憶を書き換える』の第17章で「過去の不確定性」を主題化している。彼の主張のエッセンスは次の一節によく表されていると考えていいだろう。
 
 「私が主張しているのは、意図的な人間の行為の記憶についての非常に難解な見解である。我々にとって重要なことは、当時は、いまほどは、明確なものになっていなかったのかもしれない。我々が自分の行ったことや、他の人々が行ったことを思い出すとき、われわれは過去を考え直し、記述し直し、感じ直すのかもしれない。これらの再記述は、過去について完璧に当てはまるのかもしれない。そして、そうした再記述こそ、われわれが、今、断定的に主張している真実なのである。だが、逆説的ではあるが、それは過去においては真実ではなかった。言い換えれば、その行為が行われた時点で意味を持っていたような、意図的な行為に関する真実ではなかったのかもしれない。だから、私は、過去自体が、過去にさかのぼって改訂されていると述べたのである。私が言いたいのは、行われたことに対してわれわれの意見が変わるということだけでなく、ある種の論理的な意味合いにおいて、行われたこと自体が修正されるということなのだ。われわれが、自らの理解と感受性を変えるにつれて、過去は、ある意味において、それが実際に行われたときには存在しなかった意図的な行為というもので満たされていくのである」(11)。

 この引用文でキー概念として用いられている「記述」という術語は説明を要する。アンスコムが提唱した概念だが、意図的な行為はすべて「ある記述の下(under a description)」でなされる行為である。たとえば、ある男がレバーを上下に動かしていた。彼は手動ポンプで、その家のタンクに水を送り込んでいた。彼はその田舎の大邸宅に毒を入れた水を送り込んでいたのだが、その家には、世界戦争をたくらむ悪人たちが集まっていた。確かに、そこにあるのは、レバーを動かし、水を送り、男たちを毒殺するという、はっきり区別できない一連の動作である。しかし、一方では水を送り、他方では男たちを毒殺するという、区別可能な多数の行為が存在したなどと言えるだろうか? アンスコムは、そこにあるのは、さまざまな記述の下での、ただ一つの行為があるにすぎないと主張した。
 この例を少し変えて、水道システムが不通になったために、ある家に手動で井戸水をレバーで送り込んでいる男がいたとする。しかし、その男にはあずかり知らぬことだったが、その井戸水には猛毒が含まれていた。この場合、その男は、結果的に、その家に井戸水を送るという行為と、その家に猛毒の水を送るという二つの行為を行っていたことになる。行為は一つだったが、それは少なくとも二つの観点で記述できる。二つの記述はともにその行為に当てはまるとはいえ、その男の意図を考えた場合、「その家に飲料用の井戸水を送る」という記述(=D₁)は彼の意図には当てはまるが、「その家に猛毒の水を送る」という記述(=D₂)は当てはまらない。一般に、行為者の意図には一つに記述しか当てはまらない場合であっても、
ある行為には多くの記述(=D₁,D₂,D₃…,Dn)が当てはまりうる。行為者の意図とまったく関わりのない記述や、およそ行為者が知りえない記述がある行為に事後的に帰されることもあるだろう。これは、歴史的な事象を評価する際にしばしば問題となる事柄である。ハッキングが引き合いに出している一つの例を紹介しよう。
 第一次世界大戦中に、交戦中の脱走、抗名、前線に出ることへの拒否などの理由で軍法会議にかけられて銃殺された307名のイギリスとカナダの兵士の名誉回復を求める議員立法法案が英国議会に提出されたことがあった。その軍法会議の記録が1990年に公表されたのを受けた法案提出だった。現在、軍法会議を指揮した士官たちに共感を覚える人はほとんどいないだろう。この議員立法法案の起案者は、軍法会議にかけられた兵士たちは、今日であれば、心的外傷後ストレス障害(PTSD)である診断され、処刑ではなく、精神医学の援助が必要であるとの判決が下されただろう、と述べている。おそらく、当時の軍隊的規範において脱走、抗名、前線に出ることの拒否等の行為は、兵士として、というより国民としての義務を怠った第一級の犯罪として、最大級の非難や断罪の対象だった。当時‘PTSD’という概念は存在してはいなかったし、その他処刑された兵士たちを正当化するような概念も欠落していた。しかし、今日では、心的なプレッシャーの下で、たとえば脱走という過激な行動に走った兵士に対して不名誉に思ったり非難したりするのではなく賞賛の言葉を投げかける人も少なからずいることだろう。これは、断罪的な記述(=D₁)の下に捉えられたある行為が、賞賛的な別の記述(=D₂)の下に捉え直された例の一つだが、D₁が正しいとされたときにD₂という記述の下に兵士たちの行為を見る観点は存在しなかった。したがって、当時としては兵士たちの脱走行為をD₂的な記述の下で評価することは正しいことではなかった。しかし、今日ではD₂的な記述の下での脱走行為は容認できるのみならず、むしろ人間的にも組織論的にも正しい行為として賞賛されるかもしれない(12)。
 これは、要するに‘PTSD’という当時は欠落していた新たな概念を含む新たな記述の下で第一次世界大戦化の軍法会議の判断を「再記述」するとどうなるか、という問題である。そのほかにも、過去の親子の間のある種の行為を今日的な「幼児虐待」や「セクハラ」といった新しい言葉を含む新しい記述のもとで記述し直すときどうなるかという問題や、過去の私的な体験を「トラウマ」という記述の下で記述し直すという問題もまったく同じように展開できる。いずれの場合でも、古い出来事や行為が新しい記述の下で把握し直されるとき、その新たな記述は、過去においては正しいとは見なされなかったのに、今日では正しいと見なされる訳であるが、これは、ただ単に時間が移り変わる間に人々の考え方が変わったということを意味するだけではなく、「過去自体が、過去にさかのぼって改訂される」ことを意味するとハッキングは言う。過去の出来事に関して、そこに存在しなかった記述の下でそれを把握し直そうとするとき、過去がその記述に関しては不確定である(indeterminate)ことが明瞭となる。例の脱走兵を裁く軍法会議のとき、‘PTSD’という概念自体が当時は存在しなかった。つまり、その兵士が‘PTSD’だったかどうかという問いが存在しなかったし、その問いの真偽は、当時は、不確定だった。それが確定的になるには時間が必要だった。こうした可能性は無数にあるだろう。新たな記述の下に過去を問い直すたびごとに、過去は、その都度、不確定な姿において現れるのだ。しかし、これは、先ほど引用したマルセルの「記憶」についての発言と重なり合うものだ。個人的な記憶であるにせよ、歴史的な再記述であるにせよ、その規模の如何にかかわりなく、その両者は、過去の再構成という点で合致するのである。いずれの場合でも、過去は、一見隙の一切ない姿をしているように見えながら、新たな観点をもって振り返るときに、至る所に空白や間隙をもったものとして現れるのである。

3. フリーマンが「記憶」の問題を扱うときよく引き合いに出す個人的なエピソードがある。記憶とは個人的なものだから、自分個人の事柄を話題にすることは危険をはらむとはいえ、こうした私事をモチーフとして引き合いに出すのは、ある程度やむを得ないことなのかもしれない。以下は、フリーマンにとって「モニュメント」となった体験の一つである。
 
 「青年時代の数年間、私の父と私は良好ではあるがどこかぎこちない関係にあった。父は、時には厳格で少し我慢しきれないような素振りを見せることもあり、私は、基本的には、髪の毛を伸ばし放題で、権威なんて糞食らえという気ままなヒッピーだったので、時としてそれほど好ましい取り合わせにはならなかった。私の兄たちは年が離れていてしかも非常に成功を収めていたので、彼らとの比較で言えば私が理想からかけ離れているように見えたことは確かである。ともかく、大学の2年の終りに(その頃までに、私は自分の学業と世界について前よりいく分かは真剣になり始めていた)、父は夏休みのために私が荷づくりするのを手伝ってくれて、私を車で家まで送ってくれた。実に、実に久しぶりに――ひょっとしたら、生涯で初めて――私たちは語り合った。多くの、様々なことについて。楽しい時間だった。私は、その時のことを触れ合いと償いの時であるように考えるようになった。それは、信じがたい出来事だったわけではない。抱擁するとか、過去の罪を詫びるとかそんなことをしたわけではないが、父は、父なりの熟慮した仕方で私の存在を基本的に認めたのであり、私に対してO.K.だよと言ってくれたのだ。私も同じことをした。家についたら、私は外出して、友人たちに会いに行ったと思う。
 一ヶ月後、家から数時間離れたキャンプ場で仕事をするために家を離れたときが、私が父を見た最後の時だった。彼は55歳だった。
 私の父があの運命的な夏以降も生き続けていたならば、あの二人で帰宅したドライブは、一つの出来事として脳裏に刻み込まれることがあったかもしれないが、そうでないこともありえたかもしれない。ドライブで帰宅する機会は別に何度もあっただろうし、別に接触する機会もあっただろうし、すれ違った機会もあっただろうし、おそらくもっとずっとあっただろう。それゆえ、そうなれば、あのドライブは単なる「一つの素敵なドライブ」にすぎなかっただろう。しかし、実際は、それは極めて意義深い出来事だったし--私が遭遇したいかなる出来事よりはるかに意義深い出来事だった。実は、あのドライブは、私の過去における記念碑的な出来事(momument)のようなものになったのだ」(13)。
 ここで「モニュメント」として語られた出来事は、数年後この文書を書物に収めたとき、フリーマンがさらに「一種の神話的な時」、「礎(いしずえ)となるような時(founding moment)」と呼び換えている(14)ことから察して、このエピソードに彼が込めた思いが伝わってくるが、しかしこの時の経験は、いったい何の礎となるような経験だったというのか? 父について考えるための礎? あるいは自分について考えるための礎? それとも、父と自分の関係について考えるための礎なのか? しかし、そもそも、実際に起こったことは父と息子が一緒にドライブをしたという何の変哲もないことにすぎなかったのではないか? 父が自分に対して「O.K.だ」と言ってくれたように見えたという捉え方は錯覚だったのではないか? そこには、上二人の優秀な兄と比べて見どころのなかった当時の自分に関する罪悪感や恥辱を和らげるための創作だったのではないだろうか? 自分にも何かを成し遂げることができるポテンシャルがあることをついに父が目にすることなく逝ってしまったと認めることがあまりに辛く悲しいことなので、のちの何かを成し遂げた自分をあの時のドライブに投影することで、父が末っ子に対して誇りを持てるような場面を作り上げたのではないだろうか? 「伝記はフィクションである。自伝は絶望的なまでに創作的である」(15)と書いたガザニガならばここに自説を補強する打ってつけの例を見ることだろう。
 フリーマンはこの回想に対してそのような疑念が向けられうることを否定しない。何よりもそれは自分の回想に対して自分自身が感じる疑惑であった。しかし、ガザニガ・シャクター的な「虚偽」、つまり、正確性を期しながら不正確で歪んだ仕方でしか過去を再現できないという事態をここに見ている訳ではない。不正確といえば不正確だろう。記憶における父子はフロントシートに並んでいる。つまり、それを後部座席から眺めているような光景を記憶は提供するのだが、これはあり得ない光景である。いったい、それは誰の視点だというのか? だから記憶は、過去の一時点にさかのぼって、多少なりとも忠実にそれを再現しようとすることに興味をもっている訳ではない。
 「実は、私はあの帰省のドライブから本当はあまり慰めを得てはいないのだ。あのドライブが起きたことは確かにうれしく思っているし、そういう意味では「幸運だった」と感じている。しかし、あの出来事は…、他の何事にもまして、当時欠けていたし、今でも欠けているもの(what was , and is, missing)」に関わっているのである。それは、私たちの関係に欠けていたもの関わっている。多くのことが起こりえたのだが――ある意味で、私たちはそのことをあの車の中で証明したのだが――、それでも十分ではなかった。あの時、私たち二人に欠けていたものが身近にあることを私は今でも感じることがある。それは、今でも欠けているものに関わるものだ。あの帰省のドライブからだいぶ経ったし、あの時以降私が成し遂げた多くのこと、とりわけ私が父と共有できたかもしれないものや父を鼻高々にさせたり幸せにさせたりしたかもしれないことの中に、父は、欠けているままに、居合わせているのである。厳密に言えば、身近に居合わせてくれる存在という意味で、私にあの父が欠けている訳ではなかった。むしろ私は、彼がいないということが身近にあるように(the presence of his absence)感じられるのだ。このことは、記憶が実際に起こったこと、かつて起こったが、今は過ぎ去ってしまった出来事にのみ関わるものだという考え方を正すのに役立つかもしれない。記憶はまた、起こらなかったこと、起こりえないこと、これからも決して起こらないことにも関わりをもつのである」(16)。  

 思春期に突入してからぎくしゃくするようになったが、また良い方向に向けて開始されるかもしれないと思った瞬間に断ち切れてしまった関係。これは、時間をかけて熟成しなければならないはずのものだったに違いない。大学さらに上への進学、研究者としての独り立ち、結婚、出産等々。こうしたエピソードの一つ一つに、父は不在のまま居合わせていた。フリーマンは、その都度あの帰省のドライの場面に立ち戻り、父との会話を思い出したことだろう。現実的な意味では父との関係は終わってしまったが、記憶のなかでその関係は続いていた。フリーマン自身の経験の深化とともに、その関係は深化し続けた。その度に、あの帰省のドライブでの会話は、ハッキングが言ったように、「改訂」されていったのだろう。あのドライブがなぜ「モニュメント」であり「神話」であり「礎となるような時」であるのか、実は、フリーマンははっきり述べていない。それは、あの出来事が彼にとって何を意味するのか、彼にもはっきり判っていなかったからというだけなく、あの出来事の意味が変化してやまないものだったからなのだろう。その意味で、またしても、「過去は不確定」なものだ、と言うべきなのかもしれない。
 父と二人っきりで車で家に帰ることがフリーマンにとってどういう意味をもつのか、ドライブの最中のフリーマンには捉えられなかったし、彼に視野には入ってこなかったし、その限りで彼にとって欠落していたのだ。あの過去の出来事はある種の「不在」によって特徴づけられる。しかし、このことは、「過去」の特性なのではない。あらゆる時間がそのような相貌をもっているのだ。このことを思い切り一般化してみると、次のように言えるだろう。

 「現在(present)は、それが身近にある(presence)にもかかわらず、一種の不在(absence)によって特徴づけられる…。いま、私の直接的な経験には、欠落している何かがある。その何かとは、いずれやって来て、そこで起きたと思われることを私に見せてくれる未来なのである」(17)。

 現在が何重もの不在を抱え込んでいることは、現在が何度となく見直されうる、ということの言いかえにすぎない。現在において起こっていることに何か意味があるとしても、その意味は、見るものとの相関関係においてしか決まらない。そしてそれを見るものの位置は無際限に変わりうる。それに応じて「現在起こっている」ことは、無際限にその相貌を変えるのだ。だからフリーマンが直接的な経験において「欠落している(missing)」
ものがあると言うとき、それは物理的に何かが欠け落ちているということとは根本的に異なる意味に解されなければならない。欠落しているものは、そこに不在という形で存在しているのだ。それが目に見えるようになるには、それに相応しい位置に立たなければならない。そのための努力のあり方の一つが記憶なのである。「記憶とは不在のものを身近なものにしようとすることである(a making - present of what is absent)」(18)。また、それは「ポイエーシス」とも言い換えられるのだが、それは
 
 「しばしば言われることだが、詩とは、私たちが日常的に世界と遭遇する中で不在であるものを身近なものにしようと試みるものだからである。あるいは、もっと哲学的に言い換えるならば、詩は、世界をその不在のあり方のまま身近なものにすることだからである。それは、日常的な経験にとっての一種の「サプリメント」を提供し、詩によらなければ見過ごされていた世界の特徴を引き出すのに役立つものと見なされているからである」(19)。


Ⅲ. 記憶と思考


 記憶が一種の思考の作用であり、思考活動と詩作との類縁性はハイデガーが力説したことでもあるので、記憶を一種のポイエーシスとして捉えることは特に目新しいことではない。だから、この方向においてフリーマンの試みを評価しようとするのは、彼の真意を希薄化することになりかねないし、彼の近著“Hindsight”(2010)を読んでもそれが彼の洞察の最深部分であるという書き方にはなっていない。フリーマンのまとめ方では、記憶には認識的な次元と、倫理的な次元がある(20)。回想され、物語られる人生は吟味された人生なのだというソクラテスのナラティヴ的なヴァージョンを提供しようとフリーマンは提供しようとするのだ。だが、私には「倫理的」という言い方は不要に思われるし、私は別の仕方で彼の意図を明らかにすることにしよう。

 先ほど引用した個所を、もう一度取り上げてみよう。
 「現在は、それが身近にあるにもかかわらず、一種の不在によって特徴づけられる…。いま、私の直接的な経験には、欠落している何かがある。その何かとは、いずれやって来て、そこで起きたと思われることを私に見せてくれる未来なのである」。
 
 言うまでもなく、この「未来」は自動的にやって来るわけではない。それに、必ずしも、それは自分の回想という形をとらなければならない、というわけでもない。たとえば、“Hindsight”がまるまる一つの章を割いているプリーモ・レーヴィのアウシュビッツの回想録においては自分自身の回想は問題ではなかった。むしろ、他者の唐突な侵入が現在における「欠落」を際立たせるのである。現在の「欠落」を「私」が見ることを可能にするのは、おそらく、むしろ「他者」の視線であるのだろう。あるいは、(時間の経過とともに)一個の「他者」となりえた「私」の視線なのだろう。このことを以下でフリーマンとともにたどることにしよう。いま掲げた引用文は、実は、レーヴィの著作の「恥辱」と題された章のエピソードに関わるコメントの一部なのである。だから、レーヴィの回想録に少し脱線してみよう。
 レーヴィは1944年8月のアウシュビッツでの体験を語っている。囚人の誰もが喉の渇きに苦しんでいた。飢えは何とか紛らわすことができたが、渇きは何をするにも執拗につきまとい囚人たちを何よりも苦しめていた。そういう状況の中で瓦礫の片づけを命じられたレーヴィは工事現場の片隅に水道管を見つけた。蛇口は固く閉じていたが、石でたたくと水がしたたり落ちた。口をつけて飲むととても美味かった。管は親指二本分程度で、せいぜい1リットル程度の水しかそこにはないらしいと推測できた。自分一人で飲むこともできたが、友人のアルベルトを目で呼び寄せ彼と交互に蛇口に口をあてがって飲み干した。そのことは誰にも明かさなかった。だが、彼らの姿を見ている者がいたのだ。

 「しかし収容所に帰る行進の時に、私のわきにダニエーレが来た。彼はセメントのほこりで全身灰色になり、唇はひび割れていて、目はうるんでいた。私は罪の意識を感じた。私はアルベルトにまばたきだけで合図して、即座に了解しあったのだった。誰も私たちを見ていないことを願っていた。しかし、ダニエーレはしっくい片の間で、壁に沿って仰向けになっている、奇妙な姿の私たちを見ていた。彼は疑いを抱き、そして真相を察した。彼は何か月もたって、解放後に、白ロシアで、そのことを厳しい口調で指摘した。なぜ君たち二人だけで、僕はだめだったのか」(21)。

この問いかけには答えがない。それに対しては凍りつくような身振りしか可能ではない、そのような問いかけである。この問いかけこそ43年後にレーヴィ彼が自殺するときまでのレーヴィの脳裏を離れず、彼の存在をつねに「恥辱」に染め上げていた問いかけだったのだろう。
 だが、おそらくそれ以外にどうしようもなかったのだ。灼熱の風、煮詰まった血、喉の渇き、神経の攪乱、よどんだ空気。そこに、誰も見ていない所に見つけた水道管である。そもそもレーヴィがダニエーレに見つからなかったら、語るべき物語りはまったくなかっただろう。水の一件は、それが起きたときは、まだエピソードという形になっていないエピソード(a not-yet-episode)だった。われわれは、真空の中で暮らしているのでない限り、このような潜在的に進行中の無際限の数のエピソードの中にいる。そのような潜在的なエピソードの数々がどこにわれわれを導くかを、われわれは知らない。先に言及された「欠落」はこの「まだエピソードという形をとっていないエピソード」として理解できる。そしてその悲劇的な一例をレーヴィの水の一件は提供するのだ。激しい渇きの中で、目の前に水道管が見える。もはや水道管しか見えない。水を飲み干す。その本能的な動作が他者への配慮を脇に追いやってしまった。ダニエーレの侵入によって、彼の行為は急激な意味転換を来たし、一種の略奪行為へと転落する。同胞の存在を配慮せず彼の喉の渇きを癒す水をかすめとるという「恥辱」のエピソードに転落したのである。
レーヴィにとって収容所生活からの解放は決して解放とはなりえなかった。もはや文化的な生活に戻れないほどの非道行為の数々を見聞し、自らもそれに加担してしまったからだ。しかしレーヴィの書き方から察するに、最大の恥辱は盗みといった個々の犯罪行為ではなく、そうした行為を可能にした自分自身の視野狭窄だったのだろう。レーヴィには何よりもそれが許せなかった。喉の渇きを絶えず意識しなければならなかったこと、そこに水道管が見えたこと、それに視線が釘付けになったこと…。だが、こうした視野狭窄は、何も強制収容所という特殊な場所だったから起こったという訳ではあるまい。それどころか、行為のレベルでは絶えず起こっていることであろう。行為するとはある特定の目的を視野に入れて、それに向かうことである。その場合その目的を「図」とすれば(ゲシュタルト心理学の言葉を使うならば)、その他の一切は「地」に没する。「図」が見えることは、「地」が背景に埋没することによってのみ可能なのであるから、可視性の前提には不可視性があり、可視性と不可視性は相関的なものである。レーヴィの目が水道管を捉えたこととそれをダニエーレが見ていたことは、その相関性の少しだけ劇的な一例にすぎない。

 フリーマンは父親とのあの帰省のドライブに関連して何度も「欠落(missing)」について語った。欠落という表現は、実現しえたかもしれない父との関係、実現しえたかもしれないエピソード、という意味で使われていたのだろう。だがそれは、形式的に言えば、「図」としての可視的な光景がそこで浮かび上がってくる「地」のようなもので、潜在的に無際限なものとしてわれわれの行為を取り巻いている。しかも、レーヴィの例のように、われわれの行為が無限定の他者との関連において成り立っているのであれば、網の目のように織りなされる無際限な人間関係を含めた意味での、行為を取り巻く潜在的で「地」的なストーリーやエピソードなのであろう。それら潜在的なものを見るには、ある程度の時間が必要だ。潜在的なものを顕在化するために必要な時間がなければならない。あるいは、他者のまなざしが必要だ。あるいは私のまなざしがその他者のまなざしに重なり合うのに必要な時間がなければならない。行為に没頭しその行為が要求する視野狭窄から身をもぎ離すには、自分自身が変容しなければならないのだ。トルストイの『イワン・イリイチの死』に即しながらフリーマンは次のように語る。
 
 「私が、おもに瞬間的でイワン・イリイチ的なスタイルで生きているとき、私は自分の人生の全体的なパターンを容易に見きわめることは出来ない。私が即座の対応を迫る事物に捉えられている限り、そのパターンは経験の背景に退いてしまう。このことは、その都度の瞬間は有意味であることは出来ないと言うことではない。われわれが幸運であれば、生涯で素晴らしい、印象的な多くの瞬間をもつことになるだろう。しかし今考えられているのは、こうした諸瞬間から、われわれの人生の長期的な期間から――一つの全体として考えられた、われわれの人生から――距離を取ることが、かつてそれが生じたときにわれわれには見ることができなかった、少なくともはっきりとは見ることができなかった物事を見る機会をわれわれに与えてくれる、ということである。このことを言い換えるならば、その都度の瞬間瞬間に存在するような「可視性」は、比喩的に言えば、しばしば不可視性と相関的だ。その都度の瞬間に没入しているため、それが放つ光輝と明度のために、私は「全体像(big picture)」に対して盲目になってしまうことがありうる。私の人生が可視的になるというプロセスは、私がそうした瞬間から抜け出して過去の風景に私のまなざしを向けられるかどうかにかかっているのだ」(22)。

 ここで繰り返されている「瞬間(moment)」という言葉は、人生をその都度その都度満たしているエピソードの数々を指し示している。そして『イワン・イリイチの死』の主人公にとっては、そうしたエピソードの堆積によって自分の人生は尽くされてしまう、それらを取り去ると何も残っていないと感じてしまう、そのようなエピソードの堆積である。勉学に励み、人と同じような学生生活を適当に送り、職務に励み、出世の階段を上り、結婚し子供を設け、趣味の良い家に暮らし、望みうるものはすべて手に入れたように思えた。イリイチは、そうした個々のエピソードにその都度埋没するように人生を送ってきたのだが、それらのエピソードが見える可視性の条件としての「全体像」をあえて見ようとはしてこなかった。そこで死が間近に迫ってくるのを機に個々のエピソードを超えた自分の人生という全体像を初めて見ようとしたのだが、そこに彼が見いだせるものは何もなかった。自分の人生がまったく空虚であることに死ぬ間際になって初めて直面したのだ。
 イリイチに欠けていたのは、上の引用にもあったように、「諸瞬間から距離を取ること」である。進行する世界の諸々の事象から一時的に身を引き離すことであり、その諸事象が自分にとって何を意味するのかと問いかけることであり、これはハンナ・アレントとともに単純化して言えば「思考」である。イリイチに欠けていたのは「思考」である。また「思考」が世界をその不在において対象とするものであり、その中には過ぎ去った事象も当然含まれているのだから、イリイチに欠けていたのは「記憶」、過ぎ去る事象とともに自らの歩みを止めて過去を振り返るという単純な行為だった。振り返りながら自らに問いかけるという行為だった。答えは得られなくとも、問いかけて答えを待つという行為だった。
 ここで詳しく書くことはもはや出来ないが、ハンナ・アレントが『精神の生活』で述べていたように、いわゆる「倫理」というものは存在しない。善人・悪人がいるというよりは、自らに対して語りかけるという不断の行為をしている人がいるかどうかだけなのだ。そのように見るならば、『イワン・イリイチの死』は、フリーマンが捉えるように「善の問題」という観点から捉えられるべきではなく、時間が過ぎゆくままに任せて「思考」によってその流れを断ち切ることもその流れから距離を取ることもなく人生の終わりを迎えた人間が、いわば死の圧力に屈してやむを得ず「思考」の時間を見出すにいたった経緯を作品化したもの、と評することができるのではないだろうか。
 それにあえて付け加えるならば、ここでテーマの一環ともなっている「死」の近接は、おそらくイリイチの自己との対話を開始させる機縁を提供するものという意味において語られているにすぎないのだ。死は生を語るための一機縁、その最も有力な機縁であるだろうが、まさにそのために生そのものの一契機以上にはならないのだ。 

 「イワン・イリイチが差し迫る死を待って初めて自分の人生を見渡す気持ちに駆られるようになったということは意義深い。なぜなら、それが示唆しているのは、彼が人生を無意識的、無反省的に生きてきたということであり、彼の明々白々な前提が死は関心を寄せるべきことでは全くなく、それは本質的にどうでも良いことだということだからである。言い換えれば、イワン・イリイチは、終わりを念頭に置くことなく、自分の人生を送ってきたのである。終わりに対する意識がなければ、いかなる物語もありえないだろうし、一連の出来事や経験や瞬間があるだけだろう。…だから、彼の人生は、物語的な完結性(narrative integrity)と呼びうるものを欠いていたのである」(23)。

こうした物語りの完結、「全体像(big picture)」を見ようと回想をしてみても、回想は、今となってはどれもこれも無意味にしか思えないエピソードの数々を提供するだけだった。

「幼年時代からは遠く、現在に近くなるに従って、喜びはますますとるに足らぬ、疑わしいものになっていった。… 結婚…いかにも思いがけなく、そして幻滅、妻の口臭、肉欲、虚飾! それからこの死んだような勤務、金の苦労、こうして一年、二年、十年、――どこまで行っても何もかも同じだ。先へ行けば行くほど、生気がなくなる。自分は山をのぼっているものと思いながら、じつは、規則ただしく山を下っていたようなものである。…では、これはいったいなんなんだろう? なんのためだろう? こんなはずはない? 人生がこんなに無意味でけがらわしいはずはないではないか?」(24)。

 これまで無意識・無反省な生き方をしてきたイワン・イリイチが、急に意識的で反省的なモードに立ち返ってみたところで、それが何かを与えてくれるわけではないのだろう。付け焼刃の回想は付け焼刃のエピソードしか与えてくれない。無目的で破壊的な自問自答の中の彷徨しか与えてくれないのだ。しかしイリイチが最後の最後に自己のこれまでの人生が無意味だったと認めた瞬間に、何かが変わったのだ。それは取るに足らないような変化だった。これまで彼の記憶の前景を占めていた虚飾の幻影が消え去り、「地」の中に没していたものが視野に現れてきたのである。つまり、「物語的な完結」や「全体像」を見ようとしたからといって、その見返りとして全体的な鳥瞰図や壮大なパノラマが与えられるとは限らない。むしろ、これまでのイリイチの視線に終始一貫して欠けてきたとても身近なものが彼の視覚と触覚を打ったのである。
 
 「それは一昨日の終わりで、死ぬ二時間前のことであった。ちょうどその時、小さい中学生がそっと父の部屋へ忍び込んで、彼のベッドのそばへ歩み寄った。品詞の人はたえずやけな叫び声をあげたり、両手を投げ出したりしていた。彼の片手が中学生の頭に落ちた。中学生はそれをつかんで、唇へおしつけて、泣きだした。ちょうどこの瞬間に、イワン・イリイチは穴に落ちこんで、光をみとめたのである、そしてその時、彼には、自分の生活はほんとうではなかった、しかしそれはまだ訂正できる――こういうことが啓示されたのだった。彼は自分にたずねてみた――『ほんとう』とはいったい何か? そして、耳をすましてしずまりかえったのであった。そこで彼は、だれかが自分の手に接吻しているのを感じた。彼は目をあけて、ちらと息子を見やった。彼には息子がかわいそうになってきた。妻がそばへ来た。彼は、彼女をもちらと見やった。彼女は口をあけ、鼻や頬につたわる涙をぬぐおうともしないで、絶望的な表情で彼を見ていた。彼には、彼女もかわいそうになってきた」(24)。

 ここで目を引くのは、「耳をすましてしずまりかえったのであった」という表現である。思うに生まれて初めてイリイチは世界からとき離れて「思考」の態勢に入ったのだ。家族は、彼にとって社会人として責務の一環であり、虚飾であり気晴らしでしかなかった。世界の標準を充たすための道具でしかなかった。しかし考えてみれば、彼の仕事も彼自身の自我もそうした道具の一環でしかなかった。すべてが彼のナルシスティックな想像力が生み出す亡霊のような存在にすぎなかった。しかし今やそうした世界に対する配慮の一切から解き放たれたときに、それらの亡霊たちは初めて人間の姿をとって彼に現れたのである。そしてイリイチ自身も人間の姿をとることができた。そして彼らの間に共感という感情が初めて流れるのである。フリーマンは、トルストイのこの小品の最後を次のように読み、それを回想の「倫理的」な作用のおかげであるとしているのだが、おそらくここには「思考」の浄化的作用があるだけであるように私には思われる。しかしその点の論述はまた別稿に譲るしかない。

 「彼が自分の人生をあるがままの姿として突き止めることができて初めて、これらの亡霊たちは人間の姿をとることができたのだし、人間の姿をとることによって――生き、呼吸をし、苦しむ存在として現れることによって――初めて、彼は、彼を善に導くことのできるような共感に満ちた結びつきを感じることができたのである」(25)。




1. Mark Freeman:Rethinking the fictive,Reclaiming the Real:Autobiography, Narrative Time,and the Burden of Truth, in Gary D.Fireman,Ted E.Mcvay,JR and Owen J.Flanagan(ed), Narrative and Conscioussness,p.115-116.
2. Michael S.Gazzaniga : The Mind’s Past,1998, p.1
3. ガザニガの前掲書のp.23-24に引用されている箇所を訳した。
4. Martin P. Nilsson: “Religion as Man’s Protest against the Meaninglessness of Events”, Opuscula Selecta Ⅲ(Lund,1960),P.391-464.
5. The Mind’s Past, p.1-2.
6. The Mind’s Past, p.25-26.
7. The Mind’s Past, p.174.
8. Daniel.L. Schachter : Memory distortion, in D.L.Schachter(ed.), Memory distortion: How minds,brains and societies reconstruct the past,1995, p.1. 
9. 『存在の神秘』-マルセル著作集5、松浪信三郎、掛下栄一郎訳、p.162-163.
10. 同書、p.161.
11. イアン・ハッキング:記憶を書き換える―多重人格と心のメカニズム― 、北沢格訳、1998年、p.309 .
12. 同書、p.298-299.
13. Mark Freeman:Rethinking the fictive…, p.124-125.
14. Mark Freeman: Hindsight—the Promise and Peril of Looking Backward, Oxford,2010,p.51.
15. The Mind’s Past, p.2.
16. Hindsight, p.53-54.
17. Hindsight, p.84-85.
18. Hindsight, p.63.
19. Hindsight, p.54.
20. Hindsight, p.177.
21. プリーモ・レーヴィ:溺れるものと救われるもの、朝日新聞社、2000年、竹山博英訳、p.88-89.
22. Hindsight, p.207-208.
23. Hindsight, p.201-202.
24. トルストイ: イワン・イリイチの死、『トルストイ全集6 後期作品集上』(河出書房新社)、中村白葉訳、p.151.
25. イワン・イリイチの死、p.157.
26. Hindsight, p.200.